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zoom RSS 「これまでの記事を撤回したい…」沖縄で私はモノカキ廃業を覚悟した(下)

<<   作成日時 : 2017/03/15 22:22   >>

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「これまでの記事を撤回したい…」沖縄で私はモノカキ廃業を覚悟した
素人が扱ってはいけないイシューがある
中川 淳一郎(ネットニュース編集者)
現代ビジネス2017年3月10日

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51162


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ヘリパッド工事反対運動の震源地で

その後、遠藤ミチロウ氏のライブへ行き、翌朝、高江へと向かった。


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高江のヘリパッド工事反対派による横断幕

日曜日で工事は休みだったため、N-1のテントには当番の女性が一人いるだけで、テントを初めて訪れる人に向けて地図を見せながら、立て板に水のごとき解説をしていた。

私は彼女に「反対派が地元の人にも迷惑を及ぼすような検問をしていると聞いたのですが、それは事実でしょうか?」と聞いてみた。すると彼女はこう答えた。

「ちょっとやり過ぎてしまった人はいるかもしれません。そこら辺は、やっていいこと、わるいことをきちんと情報共有すべきだと思います」


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テントには我々の他、地元民ではない2人の女性が訪れていた。この2人は工事反対派に賛同しているようだった。

さらに、地元の老夫婦と思しき2人がいた。70代の男性は現在、認知症の初期段階のようで、女性・Q氏が男性を散歩に連れてきたのだという。

「思しき」と書いたのは、実際、夫婦なのか親子なのかが分からなかったからだ。

男性は70代半ばだったが、Q氏は彼のことを「父」と呼んだ。そしてQ氏は、死者17名、重軽傷者210名を出した1959年6月30日の「宮森小学校米軍機墜落事故」の時、小学生だったと語った。

ということは、Q氏はもっとも若くとも1952年生まれになるわけで、1940年代前半生まれである男性との年齢差は10歳ほど。そうなると「父親」ではないと推測される。後に沖縄出身者に「夫のことを『父』と呼ぶことはあるか?」と聞いてみたが、詳細は分からなかった。もしかしたら彼女は若い男性と結婚したため、あまり年の変わらない「義父」なのかもしれないが、そこはこれ以上はこだわらない。

ここで津田氏と木村氏と私はQ氏から様々な話を聞いた。彼女は最初、我々を警戒をしており、老眼鏡をかけ、「私はQと申します。あなたたちの名刺をいただけますか? 私は持っておりませんが」と言った。

すぐに名刺を出し、身元を明らかにした。結果、20分ほどでQ氏は我々に対する警戒を解いてくれ、老眼鏡をはずし、にこやかに、高江について、米軍基地について語りだした。一つ印象的だったのが、テントに来る理由だ。

「私がテントに来る理由は、一義的には、父のリハビリのためです。高江村では、デイサービスが週に1回しかありません。他の日にどうすべきかといえば、1.5kmを歩いてこのテントにやってきて、色々な人々との掛け合いをしたいのですね。このテントは私たちにとってはコミュニティスペースのようになっています。オスプレイの配備反対とかそれ以前に、こういう目的があるんですよ。

ここ(N-1)は、こうして穏やかですが、(衝突が発生する)N-1裏は私の居場所ではない。ちょっと怖いの。生々しいの。でもね、N-1のテントに来るだけでも、抗議の意思は示せるでしょ? 自分なりの表現できる形でやっていけばいいんです」

そして、高江についてはこう語った。

「私はここに沖縄の都市部から移住してきました。高江はいい場所ですよ。3〜4月は霧が出るのね。あれは幻想的です。星もキレイ。色々な動植物がいるしね。蛇も出ます。アカマタという蛇はそんなにきれいじゃないけど、グリーンリュウキュウヘビってのはこれがとても美しい緑なの。そんな蛇が私の家の中に入ってくるからドキッとするし、気持ち悪いけど、蛇が這ってるのも幻想的ですよ。

元々この高江に蛇たちは住んでいたの。そこに私たちが家を建てて入ってきた。前々からいた彼らを殺すなんてできません。こんな素晴らしい場所なんです。子供達も騒音で体調が悪くなったりして、引っ越さざるを得ない状況に追い込まれたりしているけど、いつか高江に集って高江の思い出を語ってもらいたいですね」


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キャンプ・シュワブ正門前テントの横断幕

その後、辺野古のキャンプ・シュワブ前の反対派のテントも訪れた。

日曜だったため、3人しか人はおらず、ものものしい雰囲気はなかった。かつての米軍関係者にとっての歓楽街だったエリアも閑散としていた。


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これまでの沖縄記事を全部撤回したい…

那覇市内に戻ると、沖縄国際平和研究所(旧・大田平和総合研究所)へ行き、沖縄戦やそれ以降の沖縄の様子を写した多数の写真とともに、ナチスのホロコースト関連の写真を見た。

途中、地元の若い母親が小学校低学年の子供を連れてきた。彼女は息子に「いい? すごく残酷な写真があるから、イヤだったら見ないでね」と注意しながら、沖縄の歴史を息子に伝えようとしていた。


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同館では、職員のZ氏から詳しい解説を受けたのだが、「沖縄について知らないことがこれほどまでに多かったのか」と絶望的な気持ちになった。元々、アリバイ作りのごとく15分ほどいれば良いかと思っていたのだが、気がつくと滞在時間は1時間30分にもなっていた。

ここ10年ほどの沖縄をめぐる騒動なども多数の写真とともに紹介されていた。同研究所の理事長・大田昌秀元知事は、アメリカに対して公開請求を行い、米軍発の写真を多数手に入れたそうだ。すさまじき熱意である。


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研究所滞在の終盤、私はどうにもこうにも情けない気持ちになってしまった。もはや友人である津田大介氏に思いの丈をぶつけなければ平静を保てない状態になっていた。職員のZ氏が手榴弾の説明をしている最中、津田氏に「こっちに来てくれ」と言い、胸の内を打ち明けた。

中川:「津田さん、オレはもうダメだ」

津田:「どうしたの」

中川:「正直、オレは日本で最も多くのネットニュースを編集してきた人間だと思う」

津田:「うん、そうだね」

中川:「オレは多分、この11年間で12万本以上のネットニュースを編集したけど、沖縄に来て、すべてがぶっ壊された感覚を味わってしまったんだ。いかに浅い知識をもとに、編集という本来は重い業務をやってきたのか、と。

もちろん沖縄絡みの記事も編集してきたし、ツイッターでも沖縄について軽口を叩いてきた。だけど、今、こうしてこの地にいて色々な話を聞くと、これまでの沖縄記事を全部撤回したい気持ちになったし、もっと言うと、ほぼ全部の記事を撤回したい気持ちになった。

編集者って、すごく重い仕事だっていうのに、毎日毎日、ただ数をこなすように仕事をしていたことが実に虚しくなってしまった。オレはほとんどの分野において専門家ではないのに、一体これまで何をやっていたのかね……。もうオレは廃業しなくちゃいけないのかな」

津田:「いや、それは違う。オレだって3年前に沖縄に来て、同じような感覚を味わったけど、こうやって現場に来ることが大事なんだよ。そして、この研究所の存在も含めて、中川君は自分のやり方で皆に伝えればいいんじゃないかな」

その後、私は空港で感極まり、涙を流した。

皆と別れると、一人那覇空港でビールを飲みながら今回の原稿をどうまとめるべきかを考え続けた。そして、帰京後2週間あまりが経過してようやく、手をつけることができた。


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「表現」の仕事の恐ろしさ

今の気持ちを説明するとしたら、「もう、右も左もどうでもいい」の一言だ。

今回の沖縄滞在は、これまでの取材の中で2002年のアフガニスタン取材と並び最も重苦しいものとなった。そして、私がこれまでツイッターで繰り広げてきた数々の論戦が、無知蒙昧同士の無意味な応酬であったことを思い知らされた旅だった。

沖縄を題材にしてるけど、結局、ただケンカしたいだけなんじゃないの? 沖縄を題材にしてるけど、本当は自己主張したいだけなんじゃないの?

本来は、当事者にとって問題解決になることだけをするべきなのに、ネット上では当事者を置き去りにした空中戦が繰り広げられている。毎日のように、両派がバチバチぶつかり合っているが、そんなことはもうどうでもいい。私がそこへ加わる必然性は、まったくもって皆無なのだから。

インターネットが一般に普及してから約20年間。思えば我々は、陰謀論なども含め、安易に発言し過ぎてきた。「在日特権」もそうだし、「安倍晋三極悪論」もそうだし、「翁長雄志中国スパイ説」もそうだ。

過去には「電通が本田圭佑を日本代表のレギュラーにゴリ押ししている」とか、「NEWSのファンである『パーナさん』が魔都・東京で集団レイプ被害に遭いそう」とかいったくだらないデマも流れていた。

ネットにおける人々の発言は私も含め、時に純粋な正義感からだったり、時に反射的な怒りからだったりする。しかしながら、私は今回の沖縄での1泊2日により、考えを改めた。自分の専門領域や実態がよく分かっている事柄以外においては、誰かの人生に関与するかもしれない「表現」は慎まねばならない。絶対に。

私は1997年に広告業界に入り、2001年に独立してライターになった。以後、今に至るまで編集業務を続けているが、「表現」の仕事に就いて20年、その恐ろしさを実感として初めて知ったのだった。

もはや「右」とか「左」といった分類はどうでもいい。これからは、「手出しすべき案件」と「手出ししてはいけない案件」を明確に切り分けることを考えていきたい。もしも困っている人がいて、その改善に自分が寄与できるのであれば、もちろんアクションは起こすが……。

この原稿は、元々反対派に否定的だった人間が現地で実態を見て、「反対派に一方的に批判的であってはならない」と考えを改めた個人的な体験をもとに書いた。

「サヨクに取り込まれやがってw」と言うなら言え。あなたたちの批判はオレの心になんの波風も立てない。

中川淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
1973年生まれ。東京都出身。ライター、編集者、PRプランナー。一橋大学商学部卒業後、博報堂CC局で企業のPR業務を請け負う。2001年に退社し、しばらく無職となったあとフリーライターになり、その後『テレビブロス』編集者に。企業のPR活動、ライター、雑誌編集などを経て『NEWSポストセブン』など様々な、ネットニュースサイトの編集者となる。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』、『凡人のための仕事プレイ事始め』、『ウェブで儲ける人と損する人の法則』、『内定童貞』など。Twitter:@unkotaberuno


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商品基本情報
発売日: 2017年03月25日
著者/編集: 中川 淳一郎
出版社: 星海社
サイズ: 新書
ページ数: 224p
ISBNコード: 9784061386082

内容紹介
彼らは単なるモーレツサラリーマンであり、社畜である。
五輪エンブレム騒動、若手女子社員過労自殺……。いま、広告代理店に逆風が吹いている。ネット上には、「パワハラ・セクハラは日常茶飯事」「社員はコネ入社で使えない人間ばかり」など、虚実入り交じった悪評が連日書き込まれている。なぜ電通・博報堂はこんなにも嫌われているのか。それは彼らが高利益をあげ、高い給料を得ている(とされている)にもかかわらず「何をしているかわからない」からである。長らく広告業界は、敢えて自分たちの仕事内容を開示せず、クライアントとの情報の非対称を利用して仕事を進めてきた。そのツケがいま、きている。本書は、博報堂出身の筆者がおくる真実の会社案内であり、業界案内である。

【目次】
はじめに
「広告代理店社員」とは誰か
「電通陰謀論」一覧
サッカー日本代表のスタメンは電通が決めている?

第1章 超長時間労働を生み出す業界構造
箝口令「絶対に私の身元がバレないようにしてください」
『気まぐれコンセプト』の世界は本当か?
会議は続くよいつまでも
広告業界「トホホ」エピソード集

第2章 「パクリ疑惑と過労問題」広告業界に落ちた二つの爆弾
電通社員からみた博報堂
「融通」を自分できかせるしかないデジタルの仕事
あっぱれ! 電通流テレビ局食い込み術
私大出身者VS国立大出身者

第3章 「忠義」の電通、「ビジネス」の博報堂
こんなにある! 電通と博報堂の違い
中堅広告代理店社員の思い
電通に転職するには……
大手広告代理店を抜ける人たち

第4章 広告都市伝説の真偽
「全裸でコンドームを買ってこい!」と言われた新入社員
選挙にも広告代理店は絡んでいる
人気があるから「CMキング・クイーン」になるわけではない
炎上にビビりまくるクライアント

著者について
PRプランナー・ネットニュース編集者
1973年生まれ。東京都立川市出身。大学卒業後、博報堂コーポレートコミュニケーション局で企業のPR業務を担当し、2001年に退社。CM・広告関連記事を担当する雑誌ライターとして活動後、「TVブロス」編集部などを経て現在に至る。博報堂退職後も業界との付き合いは深く、今回も多数の現役社員(若手~役職者まで)や電通・博報堂の取引先従業員に匿名インタビューを行った。主な著書に、『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)、『ネットのバカ』(新潮新書)、『夢、死ね!』、『内定童貞』、『謝罪大国ニッポン』(いずれも星海社新書)など。無遠慮だが本質を突いた鋭い物言いに定評がある。

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