政府の避難計画は机上の空論だ、放射線量は高くないのに南相馬はゴーストタウン

政府の避難計画は机上の空論だ、放射線量は高くないのに南相馬はゴーストタウン





JBpress2011.05.09(Mon)  烏賀陽 弘道 ウオッチング・メディア

地震・津波被災地を取材したあと、次は原発事故の被災地を訪ねなくてはならないと思った。そうしないと、地震・津波に原発災害が重なった「3.11クライシス」の全体像が見えてこない。

 取材場所に選んだのは太平洋岸の街、福島県南相馬市である。福島第一原子力発電所から真北の人口約7万人のこの街は、まるでフランス国旗を縦にしたように、市域が3つに分断されているのだ。原発に近い南から順に「20キロメートルライン以南の無人地帯」「20~30キロメートルラインに挟まれた中間地帯」「30キロメートルライン以北の安全地帯」である。

 この3つのうち、ちょうど私が現地に入った4月22日午前零時から「20キロライン南側」は、住民が避難した上に立ち入りが法律で禁止され、完全な無人地帯になった。一方、一番北寄りの「30キロライン北側」は、平時と変わりない安全地帯である。

 そして市役所を含めた市の中心部(住民は約4万5000人。市の人口の半分以上を占める)が、この無人地帯と安全地帯に挟まれた「中間地帯」に取り残された。

 ここの「中間地帯」の暮らしは、一体どうなっているのだろう。

 結論を先に言うと、そこは都市機能が停止した「見捨てられた街」になっていた。そこに、他に行き先のない住民たちが「仕方なく」暮らしている。

 東京から福島までは、東北新幹線が復旧していた。そこでレンタカーを借りて、1時間半山越えの道を走った。東京では10日ほど前に散ったサクラが、沿道では満開である。そんなのどかな山村(表示を見たら、住民の立ち退きで問題になっている飯舘村だった)を抜けると、そこが南相馬市だった。

よく見るとゴーストタウン

 街に入ってすぐ、街の幹線道路である国道6号線(福島県太平洋沿岸部を南北に貫く)を南に向かった。20キロラインの境界で、警察が道路を封鎖している検問を取材しようと思ったのだ。

 春の陽が暖かい。田園の中を片側1車線の国道がゆるやかにカーブしている。満開の菜の花や山桜が美しい。日本の「田舎」ならどこにでもあるように、国道両側には、広い駐車場のあるロードサイドストアが点在している。家電量販店、ファミリーレストラン、スーパーマーケット、ファストフード、ホームセンター、カーディーラー・・・。あまりに平和で平凡で、あくびが出そうだった。

いや、何かがおかしい。

 ふと気づいた。だだっ広い駐車場に、車が1台も止まっていないのだ。しかも、どの店も暗い。もしやと思い、車を止めて入り口に近寄ってみた。「福島第一原発の事故のため営業を当分見合わせます」と貼り紙。どのチェーン店も閉店しているのだ。日が落ちたあとは、国道沿いは真っ暗になった。

 困った。夕食を食べる店がどこにも開いていない。フラインチャイズ系、個人経営の食堂、ラーメン店、飲食店が軒並み閉まっているのだ。「ローソン」は閉まっていた。焦りつつ探しまわって「セブン-イレブン」が1軒だけ開いていた。そこも午後7時で閉店。間際に駆け込んだ。

 「屋内退避」地域に指定された「中間地帯」で起きたことは、こうだ。

 政府は「屋内退避」=「家屋の中にいるように」と指示しただけだ。しかし、企業の多くはこう判断した。「屋内退避」→「屋外には危険な放射能が飛散している」→「屋外の業務活動を停止する」。こうして生活機能の大半が止まった。

 むろん、3月11日からしばらくは東北自動車道が寸断されたから物資そのものが入ってこなかった。開店しても地元民が避難して減っているので、従業員が確保できないという事情も考慮に入れなければならない。

郵便物も新聞も届けられない

 変わらないのは、「中間地帯」に住み続ける住民たちの苦悶である。

・郵便の各戸配布が止まった。住民への郵便は郡山市の局で止まっている。電話をすると、南相馬市の郵便局までは持ってくるので、取りに行く。街角の郵便ポストも封印されている。

 これが厄介なのは、東京電力が払う一時金も、申請用紙を郵送で受け取ることになっているからだ。まず、郡山の郵便局に電話をして通知を受け取る意志があることを伝えると、市内の郵便局まで持ってくる。そこに取りに行く。それだけで3~4週間かかる。避難や物価高騰で一刻も早く一時金がほしい住民にとっては、これだけでも大きな障害だ。

・宅配便の配達が止まった。

・新聞の各戸配布が止まった。コンビニに買いに行く。雑誌や書籍も滞っている。地元書店は閉店したままだ。

・JR常磐線は3月11日以降止まったままだ。2両編成の電車が田んぼの中で乗り捨てられている。中心部の原ノ町駅は閉鎖されたままだ。高校生にとってJRは通学の足だ。新学期なのに通学できない。

・津波被災地に自衛隊の捜索や後片付けが来なかった。

 ファミリーレストランやスーパー、モールまでが閉店した理由はよく分からない。それは企業ごとに判断が違う。しかし、地元の人たちは、地元経営のパン屋やそば屋が奮闘して営業を続けている一方、大手企業系列ばかりが閉店していることに気づいている。

 「政府が放射線を警告している中で従業員を働かせ、健康被害が出て訴訟になるのがイヤなんだろう」

 「大企業は結局自分の身を守ることしか考えていない」

 「彼らは最後は地元住民を見捨てる」

 これは南相馬の人たちが実際に言った言葉だ。

 買い物だけではない。屋外に出てはいけないのだから、通学もできない。地元の学校はみんな閉校してしまった。小中学の生徒や教師は、朝6時40分に集合してスクールバスで北隣の相馬市(30キロメートル圏外)の臨時教室まで集団で通う。

 通学の足であるJRが止まっているので、高校生も近隣まで行って授業を受けることになった。しかし、スクールバスは出ず、親が自動車で送迎することになり、親たちは怒っている。片道40分はかかるからだ。

心身とも疲弊しきってしまった避難所生活

 私が滞在した宿は、20キロラインから約3キロだった。現地に立ってみると、たった数キロの違いで、ラインの内外の放射線にどれくらいの違いがあるのだろう、とまったく得心がいかない。

 青田祐子さん(39)は、20キロラインから3キロほど北側に4人家族で住んでいる。たった3キロの差で「中間地帯」になった。ホテルのフロントで夜勤や日勤をこなしつつ、会社員の夫と2人で高校1年生と3年生の息子を育てている。

 3月11日、電気と水道が止まって自宅での生活ができなくなった。食料品など物資もなくなった。電気もガスもないので地元の小学校からは避難を断られ、隣の学区へ。しかし福島第一原発悪化のニュースが伝わると、ぼろぼろと人が逃げ始めた。恐怖に耐え切れず、家の軽自動車を運転して家族4人で市を脱出した。

 注意してほしいのだが、この「中間地帯」は政府の指定では「屋内退避区域」なので、脱出はあくまで「自主避難」である。交通費も宿代も全部自腹だ。避難先も指定されない。

 「収容先がありそうな街」ということで、山越えして福島市を目指した。市役所の掲示で見つけた避難所指定の高校は、行くたびに満員。飲食店もコンビニも開いていない冷たい雨の夜、空腹のまま避難先を3カ所たらい回しにされた。

あきらめて軽4輪の中で一家眠ろうとした午前1時、知人からのメールで伊達市に避難所が開いたことを知り、ようやくそこに落ち着いた。

 しかし、4月4日には南相馬の自宅に戻らざるを得なかった。

 避難所生活に心身とも疲弊しきってしまったのである。

 会議室に寝泊まりしてプライバシーのない合宿みたいな生活は、まだ平気だった。しばらくするとリーダーが現れて何もかも仕切りだした。「きまり」が生まれた。

 「いつまでここにいるのか分かりません。伊達のみなさんに迷惑をかけないようにしましょう」

 朝6時起床、夜9時消灯。炊事当番。それはまだいい。乾いたおにぎり、味のないコッペパンが1日1個だけの食事。かと思うと、ジャムパンやアンパン、カップヌードルばかり3食続いて胃腸がおかしくなった。家族が見舞いに来てくれたのを「よそ者を勝手に入れた」と面罵されたあたりで、耐え切れなくなった。

 南相馬に戻ってみると、街の機能は停止していた。いつも使うスーパーやガソリンスタンドが開いていない。車で40分かけて、隣の相馬市まで行く。1週間に1度、買いだめだ。主婦として悲しいのは、物価が高いことだ。 

(南相馬) (相馬)
・ガソリン1リットル 160円 148円
・牛乳1リットルパック 300円 198円
・たまご1ダース 300円 198円
・醤油1.8リットル 500円 398円

 「本当に不便です」。青田さんは嘆く。ふだんなら大型スーパーやドラッグストアが夜9時半まで営業しているので、仕事が終わった後に車で乗りつけて買い物を済ませられる。それが今では、地元では値段が高くて買い物をする気になれない。

 同じ家賃を払うならと、子どもたちが通う相馬市の高校の近くのアパートを探した。が、それも震災後は避難する人が多くて物件が足りないと不動産業者に言われた。

 私がいろいろな市民の話を聞いてみると、沖縄や関西など遠方に避難した人もいる。勤務先の企業が新潟に旅館を借り切ったため、毎日温泉に入って負担ゼロだったという話も聞く。同じ南相馬市中間地帯の住民にも明らかな格差がある。

ある日突然「自主避難」という境遇に追い込まれると、結局は勤務先や貯金、財産の差が出る。富裕な人は安全な場所に長期間逃げることができる。そうでない人は危険や不便に耐えながら、いやいや自宅に戻らざるを得ない。そんな「安全格差」が生まれているのだ。

収入を絶たれ、生活費が足りない

 政府が突然設定した20キロラインによって、収入を断たれた人もいる。木幡竜一さん(47)がそうだ。

 木幡さんは20キロ圏外の南相馬市に住んでいる。ところが、経営する土木工事会社が20キロ圏内の立ち入り禁止地帯に入ってしまった。会社の車庫には、パワーショベルやトラック、トレーラーなど仕事に必須の車両が7台あった。それが使えなくなってしまった。

 津波でがれきの山になった沿岸部の集落を助ける仕事もしたいが、それすらできない。そもそも会社に行けないので、発注の電話やファクスがあっても、受け取ることすらできないのだ。

 木幡さんもやはり原発事故に身の危険を感じ、家族4人車に乗って街を脱出した。3月15日である。あちこちさまよって山形県米沢市の避難所に落ち着いた。「米沢の人が本当に親切で、何もせずに食べさせてもらっているのが申し訳なくなった」ため、4月1日に南相馬に戻ってきた。

 生活費が足りない。東京電力が被災者に支払う一時金の話を人づてに聞き、カスタマーセンターに電話した。用紙を郵送するので、記入して返送してくれと言われた。

 「でも、ここでは郵便が来ないんですよ。なのに『用紙の届けがないと支払いはできない』と言うんだ。まったくふざけた話ですよ。社員が一戸一戸配ったっていいじゃないですか。他人事だと思っているのか。払いたくないから手続きできないようにしているのか。一時金を払うといっても見せかけだけじゃないですか」

 木幡さんは怒っていた。こうした一つひとつに疲弊した木幡さんは、煩雑な手続きをして車両を持ち出す気力がわかない。持ち出せても、路上駐車しておくわけにもいかないのだ。

 「ここでは家賃を払っても、仕事ができない。米沢に引っ越そうかと考えています。お世話になった恩返しがしたいんです。本当に素晴らしい人たちだった」

コンパスで引いた線に何の意味があるのか

 冒頭でも述べたように、南相馬市を3つに分断しているのは、福島第一原発を中心にして「20キロ」「30キロ」と国がコンパスで引いた2本の線である。このラインの前提にあるのは「原発から近いエリアほど、放射能の影響が強い」という発想である。

 しかし、現地に立ってみると、このコンパスで描いた同心円が、東京の会議室や事務机で官僚たちが描いた文字通りの「机上の空論」にすぎないことがよく分かる。

 南相馬市をはじめ福島県の太平洋沿岸部では、強い海風が吹く。停車中の車がユサユサ揺れるような突風である。この風に吹かれて、福島第一原発から放出された放射性物質は煙のように北西方向に流れた。そうやって流れた放射性物質が山に当たって落ち、降り積もった飯舘村では約4.3マイクロシーベルト/時という高い放射線が検出され、全村避難の段取りが始まった。ところが飯舘村は村域の大半が30キロ圏外なのだ。

一方「危険」なはずの「30キロ圏内」の南相馬市では、海風で放射性物質が吹き飛ばされ、線量は約0.53マイクロシーベルト/時と、飯舘村の8分の1でしかない。

 チェルノブイリ原発事故のときの飛散分布図を見れば、放射性物質は風や地形、天気によってランダムに飛ぶことは一目瞭然である。コンパスで描いたような円など、東京にいる国家官僚の法律的区分としては意味があっても、そこに住んでいる人間の健康にとっては何の意味もないのだ。

 「あの同心円の線の引き方って、一体何の意味があるんだろうね」。市役所で出会ったある中年の男性は、怒気を含んだ声で静かに言った。

 「それでも、我々は屋内退避によって守られたわけだから、まだマシだ。飯館(村)や川俣(町)の子どもたちなんかは、何も知らないうちにこっちより強い放射線に曝(さら)されたわけじゃないか。それはあんまりにも可哀想だろう。それで正しいのか。それで子どもたちにいいのか」

引っ越しの段取りをする住民が増えている

 南相馬市では、496人が死亡し、978人が行方不明のままだ(4月23日現在)。福島県内では最大の被害なのだ。

 「息子の仲良しだった小学校の同級生が津波に流されたまま行方不明」

 「友だちのおじいさんが津波に呑まれて亡くなった」

 そんな話が絶えることがない。地震と津波だけでも甚大な被害なのだ。

 しかし、地震と津波被害だけなら、まだ頑張れば復興のチャンスはある。

 そこに原発事故の放射性物質が重なり、身動きが取れない。いつ解決するのかさえ分からない。ますます状況は困難だ。地元の人たちは言葉にならない怒りと悔しさを抱えている。

 「原発さえなければ」。そんな嘆きを、幾度となく聞いた。

 「この街には仕事がない」

 「どうせ家賃を払うなら、子どもの学校に近いところに家を借りたい」

 今、南相馬では、引っ越しの段取りをする住民が増えている。本当に、この街は放射線は高くないのに、国の施策でゴーストタウンにされるのかもしれない。

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