だれもヤル気がない小沢裁判 続ける意味があるのか

だれもヤル気がない小沢裁判 続ける意味があるのか
【政治・経済】
日刊ゲンダイ2012年3月9日 掲載


きょうの論告求刑も苦し紛れで中身なし

<検察、検察審、指定弁護士、大マスコミの自滅と敗北>

「小沢一郎は悪だ。罰しなければならない」――そんな思惑と悪意で進められてきた小沢裁判は、9日、論告・求刑が行われた。検察官役の指定弁護士は「審査手続きの違法性と検察審の議決は次元が異なる」「検察審の議決を経た強制起訴は適法」と指摘したが、これほどバカバカしい話もない。強制起訴した前提が大きく崩れているのだから、むなしい“形だけ求刑”だ。
   ◇    ◇
 8日、9日の朝刊各紙はこんなふうに小沢求刑公判の予定記事を書いていた。
「大善文男裁判長は公判で、元秘書の石川知裕衆院議員が小沢元代表に虚偽記載を“報告し、了承を得た”と認めた検察調書をすべて採用しないと決めた。共謀を示す直接証拠の中で最も重要な柱を失ったことで、指定弁護士は状況証拠を積み上げ、論告で有罪の意見を述べる予定だ」

 検察調書とは、例の東京地検特捜部の田代政弘検事が捏造した石川知裕元秘書の調書などのこと。それが証拠採用されないとなった今、小沢を総攻撃してきた大マスコミも、「こりゃあ、有罪に持ち込むのは無理だ」と思い始めている。それで言い訳の記事を書き始めたのである。実際、指定弁護士の論告求刑の苦しかったこと。
「間接証拠を並べて推論に推論を重ねて、小沢有罪論を展開するシナリオです。証拠がある簡単明瞭な事件なら、要点羅列だけで済むが、今回の論告は逆。決め手の証拠がないから、外堀のさらに外から埋めていって、やっと本丸にたどり着くことになる。だから公判で読み上げる指定弁護士の文章量はとてつもない。中身がない事件ほど、ダラダラした論告になるものですが、その典型例です」(司法記者)

 スカスカの中身なしの論告求刑をして、あとは裁判官にバトンタッチ。そういうことなのである。

 前回の証拠採用公判で大善裁判長から「違法」「不当」とケチョンケチョンに批判された東京地検特捜部はメンツ丸つぶれで、もはや戦意喪失。その検察の捏造調書をもとに強制起訴を議決した第5検察審査会のシロウト11人もバカ丸出し。そして徒手空拳で戦うしかなくなっている指定弁護士……。みんな、この小沢裁判には困っているのだ。最終的判断を押し付けられた大善裁判長だって、逆立ちするくらいの推論を積み重ねないと「有罪判決」に持ち込めないことは分かっているから、気が重いだろう。事ほどさように、だれひとりとして積極的に関与したくないのが小沢裁判なのである。

「この裁判で明らかになったことは、検察捜査のひどい実態。検察審査会が検察の補完機関に使われていたこと。強制起訴制度に欠陥があること。それが分かったことだけに意義があった」
 司法ジャーナリストの魚住昭氏がこう皮肉ったが本当だ。エラソーに小沢を裁こうとした連中が、大マスコミも含めて、次々とデタラメがばれて自滅なのだ。喜劇というかマンガである。こんな裁判を続けることに、何の意味もない。

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