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zoom RSS 最高裁のウラ金(上)…魚の目2011 年 1 月 20 日 生田 暉雄 (日刊闇株新聞全文引用記事)

<<   作成日時 : 2013/03/18 11:58   >>

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魚の目…魚住昭 責任編集 ウェブマガジン

最高裁のウラ金 (上)
2011 年 1 月 20 日 生田 暉雄


3回死にかけたが、死なずに助かった

 皆さん、おはようございます。本日はお招きいただきまして、非常に光栄に思っております。今日は、私の体験したことを中心に、裁判所の実情、裁判官とはどういうものかということが、少しでも分かるようなお話ができればと思っております。
 私は22年間裁判官をしておったのですが、裁判官の気持ちをお話しするには、本当に私は適切かなという気でおるのです。私は、元裁判官ということを、できるだけ表に出さないつもりで仕事をしています。あまり元裁判官であるということを、それほど強調したくもないのです。
 それと、ほかの裁判官とは、どうも経歴からしても異色のような気がして、それが私自身の強みでもあり、弱みでもあるようなものですから、あまり一般化できるものではないんじゃないかなという気もします。しかし今回はご示唆もありましたので、やむなくそういうところまで踏み込んで、話してみたいと思っております。どうしても人間というのは、その人の生い立ちがものすごく影響するように思うんですよね。
 私の場合は昭和16年に生まれまして、生まれたときがもう虚弱体質で、これは助からんと医者から見放されたが、何とか生き延びました。それから2、3歳のときには全身の出来物で、まただめだということで、これも母親の漢方医療みたいなもので、何とか持ち延びました。
 それから4歳のときに終戦で、神戸から両親の実家がある四国へ逃げて帰る最中に、汽車の中で連結器の上に立っていまして、あまりにも体が冷えて、体中の血液が全部ドシヤッと下血してしまって、4歳から6歳までは四国の徳島で寝たきりの生活。重湯って皆さん知らないかもしれませんけれど、米の研ぎ汁ですよね、それだけを飲んで2年間生き延びていました。
 それで2年が経ち、多少元気になってくると、研ぎ汁だけじゃなしに少しは粒のものが欲しくなる。それで米の粒をいくらか入れると、また下痢をしてしまって、元の状態に戻ってしまい、また2年間寝たきりで過ごしました。小学校でも、人よりも発達が遅れていて、体も小さい。遠足なんか行くのは片道がようやくで、帰りは親父がリュックサックの中へ私を放り込んで帰った。
 生まれてから、3回ほど死にかけて、よく死なずに助かったと。これは自分なりにいいほうに考えようと思って、神様が、何とか生きとって世の中のためになるようなことをせえと言っとるんちゃうかというふうに、善意に解釈して生きてきたわけです。
 それで中学・高校と剣道をして、高校のときは兵庫県で個人でも2位ぐらいの実力になりました。もう剣道にのめり込んで、近藤勇が竹刀を3000回振ったというのを聞いたら、自分も毎日3000回振る。3000回振るのに1日3時間ぐらい振り続けなけりゃならんので、近所では、あそこには気違いがおるとかいう噂がたつぐらい、のめり込んでいました。それはよかったのですが、高校を出ても行く大学がない。
 それで親は、下に2人も弟がおるのに、お前だけを私立大学にやらすわけにはいかんと言うのですが、私立大学以外に行けるところはないので、家から通えて月謝が当時一番安かった関西大学に行きました。関大に行ったのですが、やっぱりもう一回勉強し直して、別の大学を出直したほうがいいんかなと3年ぐらいまで毎日考えていました。また学費のために毎日バイトで、学校行くよりバイトのほうが多かった。そんな生活をしていました。
 3年のときに、司法試験があるというのを友だちから聞いて、それならそれを受けていこうということで、4年とそれから卒業して1年は、丸っきり浪人して勉強したのですが、まだまだだめで、卒業して2年目は私立の高校の歴史の先生、これは教員免許を取りつつあるということで、免許なしでもやれたので、それをやった。それから、大学を出て3年目は神戸市役所へ勤めて、4年目の神戸市役所のときに司法試験に通った。

かなり異質な経歴で裁判官になった

 裁判官はみんな勉強がよくできる、学校秀才といいますか、勉強ができるというのが、唯一の本人のよりどころのような人ばかりの集まりなんですよね。そういう中で、私はかなり異質な経歴で入ってきまして、これでいいのかなというのと、一方では、人よりもバイタリティのある生き方をしてきたということが励みにもなっていました。
 なぜ裁判官を選んだかといいますと、司法試験通って、われわれのときは10クラスぐらいに分かれているんですね、1クラス50人ぐらいです。それで始まって5日ぐらいまでのあいだに、コンパがあるんですよ。
 そのときに、あとで最高裁判事にもなられた谷口正孝という裁判官の教官がおって、その人のところに酒をつぎにいくと、生田君、君はもうこの席で裁判官になるという約束せえ、そうしたら任地も全部保証してやるわと言うんです。そこまで言われたら、私も司法試験の成績もそこそこだったのかなということも思ったのですが、そんなあまり人のおだてに乗るような生活をしてきていないものですから、必ずしもその場では、うんと言わなかったんです。
 それから検察官の教官のところに行きますと、生田君、君は顔つき、体つき、検事に生まれついたみたいなものだから、絶対出世するから、もうここで検事になるという約束をせえと言うわけです。顔つき、体つきだけで大丈夫なんだろうか、成績とか能力とか、そんなことは関係ないのかなと思い、「顔つき、体つきだけで大丈夫ですか」と言ったら、「うん、大丈夫」だと。それから、「私は青法協に入っていますけれど、大丈夫ですか」と言ったら、「人の思想はいつでも変わるけれども、性格は変わらん。君の性格は検事に向いているから、出世する」というわけです。
 その検事からは、裁判官になるということを決めたあとでも、まだ撤回して検事にならんかという説得を受けました。そういうことで、公務員になるということには大して抵抗はなく、裁判官になっていったと、そういう経歴があります。

裁判官の日常生活

 それで裁判官になって、22年間で7箇所転勤しているわけです。3年に1回の転勤ということです。裁判官の生活はどんなものかといいますと、最後は高松家裁の上席裁判官ということで終わったのですが、高松家裁へ行ったのが47歳のときです。このとき、所長と上席には黒塗りの車が配車されるんです。だから、裁判所と官舎の往復は車に乗ってくださいと言われるんです。車に乗って5分か6分ぐらいの距離なのですが、車に乗ってくれと。
 それで私としては、毎日車に乗っとったのでは、もう社会のことも分かりにくくもなるし、帰りには酒ぐらい飲みに行きたいという気も起こるのに、それもできないようでは困ると思って、車には乗らないと言ったら、総務課長が飛んできて、運転手1人を首にする気かと怒られた。それで、仕方ないから、朝だけは乗りますと。帰りは荷物だけ乗せますから、それを官舎まで運んでくださいというので、帰りは乗らないということをやったわけです。
 それで、そういう裁判所と官舎とのまったくの往復だけの生活というのが、日常生活になります。
 それから、高松家裁の一つ前の高裁の段階での話をしますと、それぞれ部というのがあります。私の場合だと刑事部というのに所属していて、ちょっと詳しくは忘れましたが、刑事部が6部か7部かあった。それから民事部が10部ぐらいある。一つの部に裁判官が3人から4人ということで、3人ならコの字型、4人ならロの字型に机を配置して座っているわけなんですが、そこでの日常の話というのは政治の話なんかは一切しません。3年間おりましたが、政治の話し合いをした覚えは一切ありません。
 それで裁判長が60歳前後の、当時の私から見れば年寄りで、きのうの体調はどうであったかとか、夕べは寝られなくてねとか、そんな健康の話ばかり。そのほかの話というのは、彼はどこどこ地裁からどこどこの所長になってねとか、人の出世の話。もうその二通り以外の話はほとんどないということです。
 それから、よその部の裁判官の顔を見るというのは、たまたまトイレで顔を合わせるぐらいで、普段の行き来はありません。月1回ぐらいに判例研究会という、裁判官全員が集まる会があり、顔を合わせるのはそのときぐらいです。それ以外は、よその部に遊びに行ったりもしません。自分の部、裁判官4人構成の部の隣に書記官、事務官という、10人前後の人数がおる部屋があって、それが一体となっているということです。

裁判官の飲み会

 それで書記官、事務官と裁判官との飲み会も、私が裁判官になって10年ぐらいまでの間はあったのですが、その後、最高裁からの指令ということで、もう一切、部で飲み会をするということはなくなりました。だから、10年ぐらいまでの間は、ややこしい事件なんかが終わった後は、打ち上げがあり、みんなで良かったなと飲み会をして、それから二次会で街へ流れていくというスタイルだったのですが、そういうことも一切なくなった。
 それから、裁判官は裁判所のほかの職員と一緒に飲むべきではないと言われました。裁判官は管理職だから、管理監督する人とその対象の人とが一緒に酒を交わしたりするべきではないというので、そういうことも一切なくなりました。だから裁判所の職員と一緒に飲むような裁判官は、評価が悪くなるわけです。しかし、私自身はもう辞めるまで、裁判所の職員と仲良く酒を飲んだりもしていました。
 それから会議ですが、例えば30人以下ぐらいの規模のところでしたら、長机の一番上座に所長が座って会議がされるのですが、席次は俸給の高い人から順番に並んでいくわけなんです。もうそれがバッチリ決まっています。ある日突然、自分より下座にいた人が、自分を飛び越えて上座に行ったなということがありましたら、彼が私よりも号俸が上がったんだということを意味するわけです。
 号俸でもう全部決まっていますから、なかなか所長の際にいる人が発言しているのを、それは間違いでしょうなんて、下のほうから言えるような雰囲気ではないのです。もうみんな、分かりました、はい、そうですという、そんな会議です。この裁判官の号俸というのがもうあらゆるところにあります。だから、会議だけじゃなしに職員の表彰なんかの席で、裁判官が列席してやる場合でも、号俸順に全部並んでいる。そういう生活です。

裁判官の市民生活

 それから、裁判官の市民生活ということですが、裁判官はほかの国の裁判官と違って、市民的自由というのは一切ありません。フランスやドイツは労働組合を結成できるとなっていまして、実際にも組合を結成していますが、日本ではそういうことはありえません。
もう10年も前でしょうかね。裁判官が青法協会員だったというようなことも、全部やめてしまいまして、そういうのもありません。そういうことで、市民的自由もほとんどない。
 最近、高知の白バイ事件といって、卒業式の卒業記念の22人の生徒を乗せたバスに、白バイが横っ腹に当たってきたという事件があるのです。そういう事件も見ていまして、あの担当裁判官は恐らく運転免許を持っていないのかなと、私は記録を見ながら思ったのですが、裁判官は運転免許を持っていない人も大勢おります。
 私も50歳までは持っていませんでした。四国で弁護士をやろうと思って、はたと気がついたら、こんな四国では運転免許がないかぎりは、動きが取れんのじゃないかと思って、大急ぎで50歳で、年齢分ぐらいの費用が要るぞとみんなから脅されながら、何とか自分は規定の費用で通りたいと思って努力して通ったのですが、そういうのを覚えています。
 裁判官は大都市におりますから、実際上は運転免許を持つ必要はあまりありませんので、運転免許も持っていない。要するに勉強以外の経験はほとんどない。
 それから、だいたい裁判官は日本の場合は、一つのマンションの中に全部いるようなところがほとんどですが、そこでは裁判長の奥さんの権限が、奥さん連中の中でも、裁判長の奥さんが取り仕切っている。草刈りとか階段掃除とかいうのを、裁判長の奥さんの命令でみんな動く。あそこの奥さんは動きが悪いとか何とか、あとで評判になります。いつも出てくるのが遅いとか、いろいろなことを言われるようで、ノイローゼになるような奥さんもいるということです。

裁判の結論よりも処理能力

 裁判官の意識ですが、裁判官も学校時代から、学校秀才ということだけが自分の頼りなんですよね。私の同期で知っているのでも、例えば四国の愛媛に宇和島市という市がありますが、宇和島市始まって以来の騏麟児、秀才だというので東大、司法試験現役で通って、裁判官になってきている人。そういうふうな、もう勉強については無茶苦茶よくできる。だけど、勉強以外はあまり得意ではないという人が多いです。
 それから法律家としても、裁判官としては務まるけれども、検事のような仕事はできないし、もちろん弁護士にもなれない。裁判官以外にはなれない。だけれども、自分は偉いんだという意識は人一倍強くて、権力意識なんかも非常に強い。いっしょに裁判をやっていましても、裁判長とかほかの陪席の方にも出てきた人にも、社会的地位が上の人には、つまり強い者には弱くて、弱い者に対しては非常に強圧的に出ていく。
 だから裁判に本来、服装は関係ないはずなんですが、やはり法廷へ出るときはパリッとしているのと、作業服でダラッと出てくるのとでは、もう裁判官の印象が極度に違うんです。
服装なんかで、ものすごく差別的な発想をする。こういう傾向があります。ほとんどの裁判官はそれです。外見とかそういうことに非常にとらわれるということです。
 それから、裁判官が優秀かどうかというのは、裁判の結論じゃなしに、事件をどれだけ早く処理したかということです。民事事件の場合でしたら、事件票というのが毎月回覧されるわけです。特定の裁判官の名前は入れていませんが、A、B、C、Dとか、1、2、3、4とか打ってあって、これが誰かというのはその票を見れば明らかに分かります。
 既存の事件を何件持っていて、何件新件でこの月は受けて、この月は何件処理したというのが一覧表に出ます。みんなその一覧表を非常に気にしています。当時は星取表といわれていたのですが、それを見て、おれはあいつよりも大分未裁がたまってきているというのを気にするわけです。
 私が経験したのは、裁判官になって6、7年目の名古屋のときでしたが、当時の所長が月の半ばに、その星取表をみんなに配って見せながら、今月は先月よりも処理件数が非常に少ない。いまさら判決書け言うても間に合わんだろうから、みんな和解でしっかり事件を処理するように(笑)。月の二十日ぐらいになったら、そういう訓示が裁判官を集めてされるわけです。それぐらい処理件数というのがものすごく大事なわけです。
 私も何とか人よりも早くというか、それぐらい裁判官でまともにやっていきたいという気もあったわけですから、特に私は高裁へ入ったのが、同期のみんなよりもかなり早いのです。それはどういうことかというと、当時、3回目に徳島地裁へ行った。ところが徳島地裁では、その前にラジオ商事件とか、森永ドライ砒素ミルクの事件なんかがあって、ほかの事件が全部止まって、ロッカーに何本ももうほとんど判決を書くだけの事件がたまっているのです。
 それで、生田君、君はこれを全部処理してから転勤してくれと言われて、当時は極めてまじめですから、言われたことはそのとおり受けてやるということで、土日にほかの裁判官がテニスする中でも、私は運動服に着替えていって、古い記録を、ほこりだらけの記録をひっくり返して、ほとんど転勤までに処理していった。そういう処理能力が買われて、高裁に行ったんじゃないかなと思います。
 それから、できるだけ自分の良心に反することはしまいと思っていたのですが、いまでもはっきりと覚えているのは、徳島から尼崎支部へ行きまして、ここで、公職選挙法の戸別訪問が憲法違反かどうかという有名な事件がかかっていました。
 それで、私はどういうことを結論にすべきか非常に迷ったのですが、私自身の保身も働き、それと支部長が裁判長で、尼崎の支部長というのは順当にいけば、次、所長に出られるのです。その出世を妨げたくないというのもあって、憲法違反というのは合議で言わなかったのです。
 それで、あとでその支部長、裁判長から、生田君が憲法違反を言い出したらどうしようかと思って、困っていたけれども、生田君は言わないでくれたから、私も所長になれると喜んでくれた。それで、その人は所長で出て行ったのです。そういうふうな妥協もあって、高裁の判事になっていったんじゃないかなと。だから、かなり自分としては忸怩たるものがあるわけなんですよ。

給料差別と屈辱感

 裁判官というのは、みんな自分は勉強ができると、人よりも落ちると言われることに一番弱い体質なんです。比べられて落ちると言われることにです。そういうことから、これを逆手にとれば、一番裁判官をうまく統制できるということになります。現在、最高裁は裁判官に憲法違反の統制をしています。
 それはどういうことでやるかといいますと、裁判官になって20年目までは、月給はみんな平等に上がっていきます。20年目までが4号というところです。21年目に4号から3号になるかどうかということで、ふるいにかけられるわけです。3号にならないと裁判長にもなれません。
 それから、4号から3号になる給料差ですが、これはだいたい2000年、平成12年の基準でいきますと、4号俸の月額が90万6000円、3号俸になると106万9000円で、16万3000円差があります。毎月で16万3000円違って、これがボーナスや諸手当、給料の1割がつく大都市手当、それらを合わせると、だいたい年間で500万円の差になる。結構大きいんですよ。
 だけど、その給料差だけじゃなしに、相手は3号になったのに、会合の座席でいえば、自分を飛び越して上座に行っちゃったのに、自分は行っていないという、こういう屈辱感みたいなものも大きいんですよね。そういうことで、非常に3号にみんななりたくて仕方がない、21年目ぐらいからは。
 だけど最高裁は、どういう要件があれば3号になって、どういう要件がなければ3号にならないかという基準を明らかにしないのです。だから、こういう行動をとっていたら、最高裁は自分を嫌わないだろうかとか、最高裁に評価されるんじゃないかということを非常に気にして生活や判決もします。
 だから、まず考えられるのは、組合関係の判決なんかで、検事と違うような判決を出せば、まず最高裁からもにらまれるであろうということは、推測は立ちますから、検事の要求と違うような判決は、まず出さないと思います。裁判官としてはまず出さない。
 そういう最高裁が何を考えているのかという、上ばかりを見るというので、「ヒラメ裁判官」といわれています。ヒラメというのは海底で砂の中にうずくまって、目だけを上に上げて生活しているらしいのですが、そういう上ばかり見ているというので、ヒラメ裁判官という。そういうことです。給料をそういうふうに餌にする。
 それで3号にならないと、2号にもならない、1号にもならない。1号にならないと所長にもなれないということです。1号と4号とでは、月にして30万円以上の差がありますから、これが年間になって、諸手当、ボーナスから全部含めますと、1000万ぐらいの差になってくる。それから、退職金も全部そういうことで計算されてきますから、生涯所得では相当の差になってくるということです。みんな3号、2号、1号に早くなりたいということで、最高裁のほうばかりを向いて仕事をする。
 20年、30年経ってから、あの自白調書はおかしいと、えん罪であったというのが出てくることがあるが、これはある意味では分かりきっていながらも、自白調書を信用して有罪の判決を出しているわけなんです。検事の出す白白調書を信用していくというのは、こういう給料差別による餌があるからです。

任地による差別

 任地というのも非常に関係しています。ここの東京地裁にいたり、非常に優秀だといわれるような人、要するに最高裁の覚えがめでたい人は、東京から一歩も動かない。東京地裁の判事、高裁の判事、司法研修所の教官、最高裁の調査官。そういうことでグルグル回っていたら、もうずっと東京だけで過ごせる人がいる。
 その次にいい人は、東京、大阪、名古屋とか大都市だけを動く。それから、その次が東京にいて、いったん地方に出て3年以内に帰ってくる。大阪にいて3年以内に大都市へ戻ると、こういう人もいます。それより下の人は、もう地方ばかりを回っている。そういう任地による差別というのがあります。
 それで、東京なんかにいれば、世論の注目を浴びるような大きな事件をやれますが、地方では滅多にそういうことはありえません。そういうことからも、やりがいの点で非常に違ってくる。だから、みんな大都市に行きたい。こういうことです。
 じゃあ、地方都市にいる裁判官のほうが、冷や飯を食っているだけに、最高裁の言うことを聞かん人が多いのかと思うかもしれませんが、必ずしもそうとは言えない。起死回生の挽回をしたいという人もおりますから、地方にいても「超ヒラメ」という人もおります(笑)。なかなか分からないということになります。

生田暉雄氏のプロフィール

・1970年  裁判官任官
・1987年  大阪高等裁判所判事
・1992年  退官(裁判官歴22年)
・同年、弁護士登録(香川県弁護士会所属)
・現在…裁判は主権実現の手段であるとの考えのもとに、東京、宇都宮、愛媛の教科書裁判に関与している。また、最高裁の「やらせタウンミーティング」違法訴訟、国民投票法違憲訴訟を提訴すべく、準備中

(編集者注・これは生田氏の講演内容をまとめたものです。JR東日本労組のご協力に感謝します)







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