【著者に訊け】 沢木耕太郎が映画について綴った『銀の街から』

【著者に訊け】沢木耕太郎が映画について綴った『銀の街から』
NEWSポストセブン2015.03.19 16:00

http://www.news-postseven.com/archives/20150319_309774.html

【著者に訊け】沢木耕太郎氏/『銀の街から』/朝日新聞出版/1600円+税

「銀の街から」沢木耕太郎著(朝日新聞出版 1,728円税込)


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朝日新聞紙上で15年間続く、同名の名物映画エッセイ連載を待望の単行本化! 邦画洋画を問わず、各国の多様な映画を1本ずつ取り上げ、作品の主題や社会背景、監督の作意、役者の妙について、著者ならではの人生観や深い思索を交えて語る。


銀の街から
朝日新聞出版
2015-02-06
沢木耕太郎

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銀の街から [ 沢木耕太郎 ]
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沢木耕太郎 朝日新聞出版発行年月:2015年02月06日 ページ数:373p サイズ:単行本 ISB


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発売日: 2015年02月06日頃
著者/編集: 沢木耕太郎
出版社: 朝日新聞出版
サイズ: 単行本
ページ数: 373p
ISBNコード: 9784022511324

【内容情報】
震えるような緊張と興奮、最高の幸福感、魔術的な一瞬…映画は、私たちを思いがけないほど遠くへと連れて行く。朝日新聞紙上で15年以上つづく、映画評からはじまる名エッセイ第一弾。2007年から2014年までの90篇を収載。

【目次】
その泣き声がすべてを変える『ツォツィ』
なぜ彼女だったのか?『バベル』
「オタク」が作り出す理想郷『キサラギ』
陽の明るさと月の昏さと『ボルベール“帰郷”』
夢のような場所の夢のような時間『天然コケッコー』
愚かにも美しく『キャンディ』
ほんとうのママという幻を追って『この道は母へとつづく』
「生みの父」を殺す旅『ボーン・アルティメイタム』
砂漠に白鳥が舞い降りた『迷子の警察音楽隊』
少女の決断『ぜんぶ、フィデルのせい』〔ほか〕

 先月と今月、順次刊行される、沢木耕太郎氏の映画エッセイ『銀の街から』と『銀の森へ』(3月20日発売)。後書きには〈私には映画館に入るという行為が、なんとなく暗い神秘的な森に入っていくという感じがしてならない〉とあり、なるほど「街から森へ」の方が、たしかに流れはいい。

「元々は15年前に朝日新聞で始めた連載が『銀の森へ』で、それが朝刊に移動して『銀の街から』になった。今は『街』のまま、また夕刊に戻りましたけど(笑い)」

 本書はその月々の封切作を紹介した最近の約7年分、計90本を収録しているが、1作につき3頁足らずの文章が、殊のほか味わい深い。映画を観る楽しみはその時空間にたゆたう愉悦そのものとも言えるが、沢木氏の映画評も然り。その一文一文にいつまでも浸っていたくなり、次の頁を繰る手がつい止まりがちになる。

「僕は映画評論家と違って語るべき薀蓄も知識もないし、ネタバレという言葉もあまり好きではない。仮にあらすじを知っていても、僕らはその映画でしか観られない何かを観に行くわけで、単なる映画紹介を超えて楽しめる読み物を毎月書いてきたつもりです」

 それはあらすじでも結末でもなく、その映画をその映画たらしめる核のようなもの、と解釈すればいいのだろう。例えば『天然コケッコー』(2007年 山下敦弘監督)のこんな紹介──。

〈夢のような土地に、夢のような学校がある〉

〈そよが、この「夢のような時間」もやがて消え去るものなのだということに気がつくようになったとき、すでにそよの成長物語としてのこの映画は完結している〉

〈だとすれば、後半におけるそよの「もうすぐ消えてなくなるかもしれんと思やあ、ささいなことが急に輝いて見えてきてしまう」という独白は必要のないものだ〉

〈その思いは、この映画が、全編を通して、見ている者に静かに語りかけつづけていたはずのものであり、また、見ている者が『天然コケッコー』の世界をたゆたっているあいだ、常に感じつづけていたはずのものであるからだ〉

「つまりその台詞がいわんとすることはもう十分描けている。最近も朝日新聞の連載で『アメリカン・スナイパー』のある場面に焦点を当てましたが、それはむしろ僕がこの映画で最も感心した点とは真逆のシーンだった。つまり全体を輝かせる断片を表面的な是非を超えて切り取れると、割合、うまくいきます」

 具体的には週2本、月に8本程度の新作を観た上で、今月はこれと思える作品を探す生活を15年間続けた。

「そもそも僕は小1から中3の9年間くらい、伯父が東映の封切館に勤めていた関係で東映の時代劇を毎週観ていた時代があるんですよ。今から思うと、そのお陰で映画の基礎が身についた気がしますね」

 その後はアートシアター系の作品に熱中もしたが、「転機は『タワーリング・インフェルノ』でした。そういう時代でもあったのだけれど、難解=高尚、と勘違いしていた僕を友人がこういう映画も見に行こうと誘い出してくれ、そうか、こういう映画を面白いと言えなきゃダメなんだと気づいた。以来観客を楽しませてこそ、という大原則が映画を判断するベースです」

 内外の小品から大作までを観続けた沢木氏に、昨今の映画事情はどう映るのか。

「もちろん傑作はあるけど、個人的に印象に残る映画となると、『ローマの休日』であり『アラビアのロレンス』であり、ジャン・ギャバンとアラン・ドロンが共演した『地下室のメロディー』の3本。これに匹敵する名画にこの15年間で出会えたかというと哀しいかな、ノーと言わざるを得ない。

 それは僕の感受性が衰えたのか、映画が衰えたのか、その両方かもしれないけど、僕らが若い頃、大江健三郎さんの『万延元年のフットボール』(1967年)が出た時の衝撃は一つの事件だったし、社会に対する発信力や出来事性を、僕の作品を含めた文学や映画や音楽が持てなくなっているのかもしれない。

 一方で、いつかこの一本の映画さえあれば他はなくていいとまで思える〈生涯の一作〉に出会いたいという希望だけは、失いたくないでしょう?」

 観客とスクリーンの間にその瞬間だけ生じる一回性の現象を、氏は映画と呼ぶ。

「以前、ある年長の作家に聞かれました。『君は本棚を整理する時、まだ読んでない本と読んだ本のどっちを捨てる?』って。僕が当然読んだ本を捨てると言うと、『君は若いな。本当に大事なのはこれから読む本より、既に読んだ本だよ』って。

 その意味が今は分かる。同じ映画を観ても観る人次第で全く違う電流が流れたり、昔観た映画が全く新しいものに思えたりもするでしょう。その一回性が映画の魅力で、その役を演じるために生まれてきたような俳優が1人いるだけで観る価値があるし、その監督やスタッフが2度と作れないものを作るからこそ、その映画は素晴らしくなる。

 僕はよく“完璧な時間”という表現を使うんですが、監督や役者が果ての果ての極限まで行って得たものを、僕らが受け取るのも一回きり。そこに生まれる完璧な一瞬に僕は出会いたくて、たぶんこれからも観た映画や読んだ本を積み重ねていくんだと思います」

 この世に永遠など存在しない。だから一瞬が美しく愛おしい。その事実を否応なく知る大人による大人のための、街から森への映画案内だ。

【著者プロフィール】

沢木耕太郎(さわき・こうたろう):1947年東京生まれ。横浜国立大学経済学部卒。1979年『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、1981年『一瞬の夏』で新田次郎文学賞、1993年『深夜特急第三便』でJTB紀行文学賞、2003年菊池寛賞、2005年『凍』で講談社ノンフィクション賞、2013年『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞。「1970年代にスポーツノンフィクションを書き始めて以来、常に自分なりの表現方法を開拓してきた。もちろん、この映画論も」。180cm、65kg、O型。

(構成/橋本紀子)

※週刊ポスト2015年3月27日号



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